明日、久しぶりにダグラス・ラミスさんのお話を伺う機会をいただいた。今、沖縄に住むラミスさんから、世界はどうのように見えるのだろう。今だからこそまたラミスさんの平和学の講義を聞き直したい。ラミスさんの「ラジカル・デモクラシー」について、ガンディーの非暴力抵抗について、聞きたい。
そこへ向けての準備体操のつもりで、以下、少し書いてみよう。
コロナとの“戦争”という言説が世界を覆ってから2年半を過ぎ、コロナに“勝利する”などといった威勢のいいメディアや政治家たちの放言はその後どこへいってしまったのか。熱波、山火事、旱魃、豪雨、洪水などによる災害は世界中でますます大規模化し、激化している。人間のありようを、そして人生を「戦い」として捉えることにならされている人たちには、気候危機の本質は捉えにくい。いったいこれは誰の誰に対する戦いなのか。自分はいったい、何に対して戦っているのか。
わからなさに耐えられず、フラストレーションが高まる。そこにウクライナでの戦争だ。侵略者ロシアに対するウクライナ人たちの正義の戦い、という見立てにぼくたちが飛びつきたくなるのも無理はない。そうした決めつけの後に、しかし、危険な空白が生まれる。その空隙を目がけて、さまざまな政治的な言説が流れ込む。防衛力の増強、日米軍事同盟の強化、米国との核共有、太平洋版N A T Oの創設、エネルギー自給力の強化と原発ルネッサンス、改憲、9条無効化・・・(これらはみな、自民党安倍派や統一教会が長年唱えてきたことでしょ)
8月、ウクライナから第二次世界大戦まで、戦争についてのさまざまな記事を読んだが、特に印象に残ったのは、政治学者の豊永郁子による「ウクライナ、戦争と人権」という記事(8月12日、朝日新聞)だった。悲しみや苦悩が基調にあるのは当然といえば当然だが、なぜか、読んで心が安らぐ思いがする。内容に共感するというだけでなく、その「空気を読まない」率直な語り口が心地よいのだと思う。それはこんなふうに始まる。
2022年7月8日の安倍晋三元首相の射殺事件によって、私たちは少なくとも一つのことを知った。銃器がいかにむごたらしく人間の体を破壊し、命を奪うかということだ。そのときウクライナのことをふと思った。このような銃撃、さらには砲撃による人間の破壊が日々起こっている。これはそれ自体がとてもよくない、恐ろしいことではないか。
豊永はウクライナ戦争に当初から感じて違和感をあげてゆく。プーチン大統領の独裁者然とした態度や行動はともかく、わかりにくかったのはウクライナ側の行動だという。中でも、ゼレンスキー大統領が矢継ぎ早に打ち出した徹底抗戦によれば、市民に銃を配り、すべての成人男性の出国禁止と戦力としての総動員、さらに自らの英雄的な勇敢さを示す一連のパフォーマンス。
ゼレンスキー氏の勇気には確かに胸を打つものがあり、世界中が喝采した。これによってウクライナの戦意は高揚し、N A T O諸国のウクライナ支援の姿勢も明確化する。だが一体その先にあるのは何なのだろう。
確かに、ロシアの勝利は遠のくかもしれない。しかし、だ。
どれだけのウクライナ人が死に、心身に傷を負い、家族がバラバラとなり、どれだけの家や村や都市が破壊されるのだろう。どれだけの老人が穏やかな老後を、子供が健やかな子供時代を奪われ、障害者や病人は命綱を失うのだろう。
そして話題は、日本へと飛ぶ。豊永によれば、日本には今、ウクライナの徹底抗戦を讃え、日本の防衛力の増強を支持する風潮が存在する。そう、そしてその流れは、改憲、特に9条の無効化へと、雪崩うつように進もうとしてようにぼくには見える。そこで豊永はこう言う。
私はむしろウクライナ戦争を通じて、多くの日本人が憲法9条の下に奉じてきた平和主義の意義がわかった気がした。ああそうか、それはウクライナで今起こっていることが日本に起こることを拒否していたのだ。
昔も今も、反線や非戦を唱えれば、すぐに、「なんと非現実的な」とか「平和ボケ」とかという罵声が浴びせられる。豊永は言う。「冷戦時代、平和主義者たちは、ソ連が攻めてきたら白旗を掲げるのか、と問われたが、まさにこれこそ彼らの平和主義の核心にあった立場なのだろう」
平和主義者たちは、政府と軍の「敗北」を認める能力をそもそも信用していなかったに違いないと豊永は言い、平和主義者が抱えていたその懸念に共感する。「政府と軍が無益な犠牲を国民に強い、一億玉砕さえ説いた第2次世界大戦の体験があまりにすさまじかったから理解できる。同じ懸念を今、ウクライナを見て覚えるのだ」
豊永は「人々が現に居住する地域で行われる地上戦」の凄惨さを思い出させてくれる。4人に1人の住民の命が失われた沖縄、第二次大戦の独ソ戦の戦場となって住民の5人に1人を失ったウクライナは、4人に1人を失ったベラルーシ・・・
今、ウクライナはロシアの周辺国への侵攻を止める防波堤となって戦っているとか、民主主義を奉じるすべての国のために独裁国家と戦っているとか言われるが――ともにウクライナも述べている理屈だ――再びウクライナで地上戦が行われることを私たちがそうした理屈で容認するのは、何かとても非人道的なことに思える。
豊永は自分の中の違和感を手がかりに、論を進める。
色々なことが少しずつおかしい。米国連邦議会で演説したゼレンスキー大統領は、誰もが知るキング師の言葉、「私には夢がある」を引いて軍事支援を求め、喝采を浴びた。だがキング師といえば、戦後の世界の最良の獲得物の一つである「非暴力主義」の指導者だ。この引用は果たして適切なのだろうか。英国議会では「いかなる犠牲を払っても領土を守るために戦う」というチャーチルの言葉を引用する。その「戦い」はチャーチルにおいては主として自国の外での戦闘を意味したが、ウクライナにとっては自国の領域内での戦闘だ。「いかなる犠牲を払っても」と言ってよいのだろうか。
欧州10カ国における最近の世論調査を豊永は紹介している。回答者は、次の二つのうち、どちらの考えに近いかを答える。今最も重要なのは、①「できるだけ早く停戦すること、たとえウクライナが領土を失っても」か、それとも②「侵略したロシアを罰すること、たとえより多くのウクライナ人が犠牲になっても」か。結果は、前者を選んだ「和平派」が35%で最大の声をなし、後者を選んだ「正義派」は22%だったという。実にあけすけで、一見、乱暴にすら響く質問の仕方だ。しかし、この問いをいつまでも避けているわけにもいくまい。同じ問いをぼくたちも自分にむけてみてはどうか。いや、向けてみるべきではないか。ことの問いに向き合うことで、見えてくるものもあるのではないか?
和平派の立場は、エネルギーや食料の不足への不安、核兵器の使用も含む戦争のエスカレーションへの恐れといった、言うなれば、自分自身に降りかかる火の粉への懸念という利己的な理由によって説明されることが多い。しかし、それでは不十分だ、と豊永は考える。
これらにあわせて戦争による犠牲の拡大について道義的な疑念が広く存在することを忘れてはならない。
道義的、倫理的な、つまり利他的な歯止めもまた、人々のうちに働いていると、彼女は考えているのだろう。
記事の末尾で、豊永は、自身もなじみ深いらしい二つの都市について語る。そのまま引用させていただく。
最近よく考えるのは、プラハとパリの運命だ。中世以来つづく2都市は科学、芸術、学問に秀でた美しい都であり、誰もが恋に落ちる。ともに第2次世界大戦の際、ナチスドイツの支配を受けた。プラハはプラハ空爆の脅しにより、大統領がドイツへの併合に合意することによって。パリは間近に迫るドイツ軍を前に無防備都市宣言を行い、無血開城することによって(大戦末期にドイツの司令官がヒトラーのパリ破壊命令に従わなかったエピソードも有名だ)。
両都市は屈辱とひきかえに大規模な破壊を免れた。プラハはその後、ソ連の支配にも耐え抜くこととなる。これらの都市に滞在すると、過去の様々な時代の息づかいを感じ、破壊を免れた意義を実感する。同時に大勢の命と暮らしが守られた事実にも思いが至る。
2都市に訪れた暗い時代にもやがて終わりは来た。だがその終わりもそれぞれの国が自力でもたらし得たものではない。とりわけチェコのような小国は大国に翻弄され続け、冷戦の終結によりようやく自由を得る。プラハで滞在した下宿の女主人は、お茶の時間に、共産主義時代、このテーブルで友達とタイプライターを打って地下出版をしていたのよ、といたずらっぽく語った。モスクワ批判と教会史の本だったそうだ。私は彼女がいつ果てるともわからない夜に小さな希望の明かりを灯し続けていたことに深い感動を覚えた。
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