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Blog:大地X暮らし研究所

執筆者の写真信一 辻

「ビッグピクチャー」の視点から世界経済システムを考察する~ヘレナ・ノーバーグ=ホッジからのメッセージ

以下、ローカル・フューチャーズのメルマガの最新記事より。ヘレナの9分余りのスピーチ抄録は、動画を見ながら、ぼくの意訳を読んでほしい。 辻信一


 

40年間、私たちローカル・フューチャーズが投げかけてきた「進歩」に対する鋭い問いは、世界中で共鳴を得てきました。日本や韓国から、メキシコやブラジルまで、グローバル経済システムは人びとを食料から引き離し、権力から遠ざけ、多様な生態系や文化を侵食するなど、世界各地で同じような影響を及ぼしてきました。その結果、すべての大陸で、レジスタンス(抵抗)とリニューアル(再生)という共通の物語が生まれました。


私たちは数十年にわたり、南北のコミュニティと密接に協力し、グローバル経済に対する批判と、それぞれの場所に根ざした未来へのビジョンを組み合わせた世界観を提示してきました。そうすることで、従来の資本主義批判を超えて、近代的産業主義そのものに深い欠陥があること、それが植民地主義や科学技術信仰といった誤った時代遅れのマインドセットに基づいていることを明らかにしてきました。


この10分間のビデオでは、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジがこうした「ビッグピクチャー(大局)」的な視点から世界経済システムを考察し、私たちが共有する歴史と共有しうる未来に、新たな光を投げかけてくれています。


ローカル・フューチャーズ


・・・・・・・・・

上記動画は英語のみのため、以下、日本語で読みやすいように翻訳・構成した。


(ヘレナスピーチ)


何をすべきか、それは明らかです。より公正で、よりエコロジカルな経済のために努力する、ということです。


でも、その筋道は、これまで資本主義を批判してきた多くの人びとが考えてきたものとは、まったく異なるものになると、私は考えています。これまでの批判は近代的なレンズを通したものでした。それは、先住民的なレンズではなく、産業社会のレンズを通しての批判だったのです。



<私たち人類はどのように進化してきたのか?

私たちはどこで間違ったのか?>


進化の過程で大切だった、人間としての最も基本的なことは、子どもをどう育てるかと、食べ物をどう育てるか、です。世代と世代が縦につながる共同体に属する私たち人間はみな、この二つの基本的な営みに関わってきました。


しかし、現代の経済社会では、その両方から人びとが遠ざけられています。


そして、そのシステムはキリスト教に由来し、その後、ヨーロッパでは、奴隷制度や囲い込みを通じてつくり上げられてきました。その結果、ヨーロッパの人びとは、土地に根ざした生活から遠ざかっていったのです。


パプアやアフリカの辺境の地でさえ、人びとがヨセフとかマリアとかの名で呼ばれているのは、驚くべきことです。それはどんな結果をもたらすでしょう。人びとのあいだに劣等感を生み出してきたのです。西洋の支配的なシステムが心理的な汚染をもたらしたのです。


その怖ろしさに気づいていただきたいのです。グローバル経済の影響も同じです。消費主義の文化支配(モノカルチャー)の波がいたるところに押し寄せ、人びとの心を汚染しています。


キリスト教がやったことも、単一の文化システムを押しつけることでした。しかし、それは全世界に行き渡ったわけではありません。植民地支配と奴隷制の時代でも、地球全体に植民地や奴隷制を広げたわけではなかったのです。


それが、1970年代半ばから後半にいたると、事実上すべての子どもたちが、アイデンティティ、権力、知性、美についての一連の誤った考えによって取り込まれ、植民地化されたのです。それは実に悲惨なありさまです。


それを私はまずラダックで目の当たりにしたのです。そして後には、あのみなさんもご存知のヒマラヤの王国ブータンでも。そこでは4歳や5歳の子どもですら、消費主義の波をかぶって、女の子はバービー人形、男の子はマシンガンをもったランボーの人形で遊んでいたのです。



<それは、どのように起こったのか?

消費主義はどのように広まっていったのか?>


各国政府は、大企業とのあいだに自由貿易協定を結んでいました。国と国との条約のように見えるかもしれませんが、そうではありません。文字通り、スウェーデン、アメリカ、日本、そして世界中の国々が、コカ・コーラ、モンサント、HSBCなどといった独占大企業に服従させられていたのです。これらの独占企業は、自分たちの「自由」を認めさせる条約に、政府が署名するよう仕向けていた。それが自由貿易協定の本質でした。


大銀行や大企業はますます大きな影響力を、教科書、科学、大学、メディアといった私たちの知識の源にまで及ぼすことで、支配力を強めてきたのです。



<次はどこへ向かうのか?

事態は少しでもよくなるだろうのか?>


私はまだ希望を感じています。というのも、このような巨大権力によるグローバル支配の下にあるにもかかわらず、どこへ行っても私は人びとが異なるやり方で物事を進めようとしているのを目にするからです。


私が思うに、これまでで最悪の文化、つまり西洋が経験した文化のどん底は、ヴィクトリア王朝時代でした。その時代、人びとは土地から引き剥がされ、土に近いところに住むこと自体が劣等で遅れているという考え方が支配的になったのです。


こうした価値観の転換に伴い、キリスト教は、身体の官能性、全体性、女性性、感性などを、罪深いもの、後進的なもの、秩序に反するもの、汚れたものと見なしました。女性の脚ばかりか、ピアノの脚さえ覆って、誰かが性的に興奮しないようにしたのだから呆れます。つまり、この文化の本質は、反自然であり、反女性、そして完全に差別主義的なものだったのです。


それは、奴隷所有者たちや植民地主義者たちが公然と掲げた価値観です。本を読んでみてください。彼らはこうも公言していました。学校教育は一種の工場であり、その目的は自分たちの新しい産業に適した子どもをつくることだ、と。


そんな文化のどん底以来、私たちの文化はしかし、自然や女性や先住民を敬う方向へと少しずつ向かってきました。ここにいるみなさんや私が大切にしている価値観の方向へ。


そしてその方向への流れはここ十年ほどのあいだに、急速に強まりました。そしてそれは、多くの人びとがグローバル経済によってますます追い詰められ、いよいよ自分たちの生存のために立ち上がらざるを得なくなった証です。


その一方で、トランプやボルソナーロといった連中が現れ、「あなたたちのために偉大な国を復活させる」と言い始めます。移民も気候も関係ない。大事なのは、経済を成長させ、あなたの国を偉大にすることだけだ、というわけです。


しかし、実際には、彼らの言う経済成長とは、より小さなグループ、少数の人間たちだけのためのもの。その経済成長という言葉に踊らされるのは馬鹿げたことです。真実は、人口の1%にも満たない人たちだけが豊かになっていくような経済なのですから。しかし、この真実こそが、新しい時代の扉を開くかもしれない、と私は思っています。私たちは現実に、それを目の当たりにしているのですから。


では、その1%にも満たない者たちはいったい何がやりたいのでしょう?

火星での資源争奪戦をやりたいのです。深海の海底まで行って鉱物を奪い合おうというのです。人間の労働力を不要にするために、より多くの鉱物を、エネルギーを、テクノロジーを使おうというのです。


私たちの目の前に開けている新しい道とは、まず、こうしたグローバル経済のビッグ・ピクチャー(全体像)を理解した上で、ハイテク経済や監視文化の代わりに、人間性と生態系を土台とするヒューマンでエコロジカルな文化を選びとり、抱きしめることなのです。



<ヒューマンでエコロジカルな文化を創るには?>


もう、私たちの多くは先住民族の文化から学ぶべきことがたくさんあることに気づいていると思います。なかでも、女性の社会的地位が高く、女性性に重きを置いている伝統文化が大切です。


先住民的レンズを通して世界を見ることで、私たちはより「スモール」で「スロー」な価値に気づきます。より小さくて遅い方向へ向かえば、必然的に「ローカル」に行き着きます。ローカルのなかで特に大切なのは、ローカル・フードとローカル・コミュニティ、つまり、食の地産地消と地域コミュニティです。


農家と消費者の間の距離を縮めるというただそのことが、実は、奇跡的なことなのです。というのも、500年にわたる植民地主義と奴隷制度を通じて、商売人たちは食料のあるところから人びとを引き離そうとしてきたのですから。


このシステムは、人びとが昔からやってきたこと−−自分たちのニーズに合った多様なものを自ら生産するということ−−を妨害したのです。「自給」を狭い意味で考えないでください。それは個々人がバラバラに生産活動を行うことではなく、誰もが協同のコミュニティに依存することだったのです。自分の家族のたちに必要なすべてを生産するということではなく、みんなが必要とするものを協同して生産するということです。そして、少し余ったら交易を通じて、自分では作れないものをもち込む。


奴隷制度を導入したことで、そのような仕組みは完全に崩壊し、人びとは綿花畑やスズ鉱山、コーヒー農園などに押しやられることになりました。


英国では、囲い込みによって、多様な生産だけでなく、何百年、何千年もかけて培ってきた様々なヒューマン・スケール(人間らしい規模)の制度が失われました。


伝統的な社会とその仕組みは、もちろん問題を抱えていたし、完璧だったわけではありません。それでも、それは私たちが求めている社会の姿の土台となりうるのです。そんな過去の遺産をとり戻すことは、きっとすばらしいことに違いありません。




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