コロナ禍は今も居座っていて、クリスマスも年末年始もないのである。ぼくたちも、飽き飽きしないで、考え始めたことを、もう少し考え続け、まだ思いつかなかったことにも、思いつこうではないか。というわけで「健康ってなんだっけ!?」という感嘆と疑問の「あいだ」で揺れながら、行きつ戻りつ、もう少し、考えよう。
12世紀ドイツの修道女ヒルデガルトが、近年、自然療法の先人として注目されている。ぼくと仲間たちは縁あって、そのヒルデガルトについて、というよりは、ヒルデガルトを現代に呼び戻そうという魔術的な試みを楽しげに続けている人々について、『ヒルデガルト 緑のよろこび』という映像作品をつくった。そのDVDブックに書いた「塀の上のヒルデガルト」というぼくの文章を、亡くなったばかりの友人、園芸療法家のグロッセ世津子さんへのオマージュとして、ここに掲げたいと思う。多分ヒルデガルトがそうであったように、グロッセ世津子さんも人を魅了してやまない”魔女”の一人だった。
塀の上のヒルデガルト
・・・(前略)・・・ヒルデガルトをめぐる旅の中で、尊敬する友人のベルナルド・リエターを訪ねることにした。文明史家としての彼が、ヨーロッパ史の中にヒルデガルトをどう位置づけるのか、知りたかった。
ベルナルドはまず、ヨーロッパ史を貫く家父長的な男性優位社会の中の、女性としてのヒルデガルトに注目する。女性が差別、抑圧され、教育の機会も与えられない状況は19世紀まで続いた。この抑圧の歴史は15世紀以降300年にわたる“魔女狩り”の時代で頂点に達する。ベルナルドによれば、中世は度々、ルネッサンス以後の「光の時代」との対比で、暗黒時代として描かれるが、実は、10世紀と13世紀の間は西洋史の中に穿たれた「窓」——つまり、女性性が重んじられた例外的な時代だった。そしてヒルデガルトはその時代の精神を一身に体現する女性として歴史の中に輝いている。その意味で、彼女はフェミニズムの先駆者の一人でもある、と。
「この開かれた窓はしかし、その直後にまた激しく閉じられ、そのまま半世紀ほど前まで開かれることはなかった」とベルナルドは言う。ヒルデガルトも、「時代が少し前後にずれていたら、酷い目に遭っていただろう」と。当時、霊的能力をもつ者、特に女性は疑いの目で見られた。そして近世にはその多くが魔女として迫害されることになる。
ヒルデガルト療法を現代に継承しようとするセラピストの一人、クセニア・フィッツナーは、胸を張って自らを“魔女”と呼ぶ。彼女によれば、魔女の語源は「ハガスサ」という古語で、それは「塀の上に坐っている」ことを指す。つまり、魔女とはもともと「二つの世界を隔てる境界に位置する者」を意味するのだ、と。
彼女によれば、その「二つの世界」とは、「知られている世界」と「知られざる世界」、左脳と右脳、意識と潜在意識、文明と野生、村と森・・・。魔女たちはその境目に生きながら、二つの世界を自由に行き来する人々だ。彼女たちは夜、人間の領域である世界から、知られざる自然の世界としての森へと向かった。そして植物とともに霊的エネルギーを集めては、薬としてもち帰る。
クセニアは言う。「今日、ますます重要になっているのは、文明化し過ぎた世界に住んでいる人々が野生を取り戻すことです。・・・命の循環を祝福し、自然と調和した暮らしを取り戻すのです」
そしてそれを手助けするのが、現代の魔女としての自分の役割だ、と。
“女性的なるもの”とともに貶められてきたのが、“植物的なるもの”だ。そしてそれもまた、長く忘れられていたヒルデガルトとともに、現代に蘇りつつあるように見える。ヒルデガルトから伝わる植物療法(フィトセラピー)を教え、実践するペーター・ゲルマンは、植物についてこう言った。「私が思うに、植物は地球上で最も進化した生きものです」
まず植物は、動物、特に我々哺乳類に比べて、はるかに長い歴史を誇る。動物とちがって植物は自力でエネルギーを得ることができる。動物のように他の生きものの命を奪うことなく、あちこち駆け回ることもなく一カ所で生きられるのだから。
ペーターによれば、科学としての医学は、植物が生きものである、という事実を忘れている。そして例えば、一つの薬が一つの病気に効くと教える。目的に適うものだけを取り上げて、あとは視野に入れない。しかし、植物は実験室で作られるような単純な化合物ではなく、夥しい数の物質から成る複雑な生物であり、一ヵ所に効くだけでなく、その影響は全体に及ぶ。何がどう効くのか、わからない。わからないのでは、科学とは言えない、迷信と変わらないなどと批判される。それでも植物療法はあえて、植物をできるだけそのまま使おうとする。
ここ数百年、西洋の医療は狭い科学的世界観に支配されてきた、とペーターは言う。そこでは、「全世界は一つの機械のようなもの」としてイメージされ、「機械が壊れたら、歯車を一つ入れ替える、そうすれば直ってまた動き出す」と考えられる。現代科学もいまだこの基本的な考え方から抜け出せないでいるのだ、と。本編の中で、彼は、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーのこんな言葉を引用している。「科学は自分が言うことによってではなく、言わないことで嘘をつく」
だがもちろん、植物は機械ではない。植物は生きている。その生きる力のことを、ヒルデガルトは“ヴィリディタス”——緑の力——と呼んだ。部分的な効果を超えた、生命全体に及ぶ聖なる力。もちろん、それを科学的に定義することはできない。定義できないものを科学は相手にしない。つまり、科学は自分の周囲に高い塀を張りめぐらしているのだ。その塀の上に坐る者、定義できるものとできないもの、部分的なものと全体的なものの間を自由に行き来する者を、科学は長く排除してきたし、今も猜疑と軽蔑の目で見ている。
(ペーター・ゲルマンの薬草園の魔女や精霊)
こうしたペーターの思いは、ベネディクト会の修道女であるヒルトルード・グートヤーの言葉と共鳴している。ヒルデガルトが創設した修道院跡に建てられた教会で、その教えを伝え続ける彼女は、「人間はどうしたら幸せに生きることができるのでしょう?」と自問し、こう答える。「理性の金冠を誇る人間は同時に、身体と心を与えられているのです」
つまり、理性と感情、理性と身体との間を隔てる壁を超えるべきことを、自らの生き方を通じて伝えたのがヒルデガルトだった。神を讃えることを中心に、瞑想、読書、労働が彼女の人生を彩っていた、とヒルトルードは想像する。
「庭が重要なのです。生活の場として、天地創造を感じる場として」
西洋中世の修道院における禁欲的で暗く抑圧的なイメージはそこにはない。
「修道院ではワインはとても大切。食物は体だけでなく魂にも作用します。人間が気持ちよいと感じるようにできている。・・・すべての創造物は神のプレゼント」
ベルナルド・リエターもこう言っていた。キリスト教世界に広まっていた教えは「人生を楽しむなかれ、快楽は罪である」。しかし、ヒルデガルトのメッセージは、「神が創った世界を楽しめないわけがない」というものだった、と。
その感性は現代のエコロジーにも通じる。クセニアもそれをこう表現していた。
「生きていることは素晴らしい。私たちの周りは歓喜で溢れている。空気、鳥たち、木の葉など、素敵なものがいっぱい・・・」
クセニアによれば、太古から民衆の中に息づいてきた、前キリスト教的な世界観がヒルデガルトの中に生きていたのだ。その中心にあるのは、「全存在を生み出した大いなる母」への信仰だ。それは、教会権力によって迫害されながらも密かに生き延びてきた。
「“あらゆる喜びと愛の行為こそ我が儀礼”という一節がその祈りにはあります。ヒルデガルトのいう“神”と、私たちの“大いなる母”は、実は同じだったと私は思うのです」
ヒルトルードが言及した「庭仕事」も注目に値する。それは、瞑想であり、儀礼であると同時に、生活であり、経済でもあった。ベルナルドも言うように、ヒルデガルトが生きた西洋史の中の例外的な時代には、「修道院は独自の通貨をもつ、生き生きとした自給型の経済圏を形成」していた。農を中心とする自給的なローカル経済の中心には、スペルト小麦(ドイツ語でディンケル)があったと想像される。それは近年注目されているヒルデガルト食餌法の要でもある。八千年前のエジプトにもさか上るというこの古代種は、品種改良の繰り返しで、言わば人間の手垢にまみれた一般の小麦に替わる、健康でエコロジカルな食品として今や世界中で大人気だ。
ともあれ、ヒルデガルトの「庭仕事」から垣間見えるのは、かつてアリストテレスが「家政」(オイコノミア=エコノミー)と呼んだ、本来の意味での経済だ。金儲けの手段へと純化した現代のグローバル経済が、人類を、いや生態系全体を破滅に導こうとしている今、ぼくたちはもう一度、このローカルで、コミューナルで、エコロジカルな経済という原点に立ち戻らなければならないだろう。それは、単にモノを生産し消費する市場としての“経済”ではなく、「生活の場」であり、同時に「天地創造を感じる場」としての経済——聖なる経済なのだ。
・・・(中略)
・・・西洋文明史の中に開いた小さな窓としての12世紀ヨーロッパ。ヒルデガルトの人生が体現していたはずのその窓の意味を問う。そしてぼくたちは、いわば、ヒルデガルトという窓を通して、その向こうに拡がる“懐かしい未来”を見ようとしている。ペーター・ゲルマンが言う通り、「大昔の思想がまた注目されるようになってきたのは、偶然ではない」のだ。
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